大島から戻った後は、本土側を巡ります。本土では、いわゆる宗像大社(正式には、宗像大社の辺津宮)と、沖ノ島のお宝を展示している神宝館をメインに、もし余裕があれば世界遺産ガイダンス施設 海の道むなかた館も、、、柔軟に対応したいところです。

宗像大社辺津宮

宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つで、沖ノ島の「沖津宮」、大島にある「中津宮」、そしてここ本土の「辺津宮」の三宮を総称して、宗像大社を成しているということです。

そしてそれら三宮では、それぞれ御祭神として、天照大神の三女神、田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。

辺津宮は釣川沿い田島と呼ばれる地区にある高宮祭祀遺跡を起源として、その麓に社殿が造営されました。本社では市杵島姫神を祀っていますが、第ニ宮(ていにぐう)、第三宮(ていさんぐう)を併設し、それぞれで田心姫神、湍津姫神を祀っていますので、ここ1箇所で三女神をお参りすることが可能です。海や川との関わりの深い三女神をまつる本土の信仰の場として、宗像大社の神事の中心となっているということです。というのを神湊港でバスが来るまでの30分の間に学びました。

神湊港渡船ターミナルから再び西鉄バスで辺津宮前まで10分です。このターミナル側面にある「三角縁神獣鏡」の実物が神宝館にありますのでお見逃しなく。

バスで10分、辺津宮に到着です。バス停からのルートでは大鳥居の横からのアクセスで、正面から写真に収める気がおきませんでしたので省略・・・

ニの鳥居

つづけて二の鳥居をくぐり参道を進みます。大島の中津宮や沖津宮遥拝所では全然人に会いませんでしたが、辺津宮はそれなりに人がいます。本土の立地ということで、車で簡単に来られるからでしょうかね、大きな神社の雰囲気があります。

ニの鳥居をくぐると、かなり広い境内の中に整然と建物が並んでいます。綺麗に維持されており荘厳な空気を感じます。

手水舎

手水舎(ちょうずや)です。大きな岩を切り抜いて作られており立派です。ところどころ人気がなくなるタイミングがありハッとします。

神門

清めた後先に進みます。緑青(ろくしょう)色に変色した銅屋根が綺麗です。よく見ると狛犬まで緑青です。この神門をくぐると、拝殿・本殿になります。

本殿・拝殿

辺津宮は、高宮祭祀での露天祭祀を起源としていますが、遅くとも12世紀までには社殿も築かれていたということです。戦乱などにより度々失われ、今の本殿は1578年に神宮・神社の神職の長である大宮司(だいくじ)宗像氏貞によって再建されたものということです。

氏貞は跡継ぎがないまま亡くなり、大宮司家は途絶えますが、1590年に九州に転封された小早川隆景によって拝殿が再建され、その後は福岡藩主黒田家により代々修理費用が賄われ、信仰は途切れることなく現在まで続いているということです。厳島神社もそうでしたが、かなり由緒のある神社でも、消滅の危機に瀕した時期があるんですね・・・

本殿・拝殿は国の重要文化財に指定されているということです。

第ニ宮&第三宮

本殿の奥には、第ニ宮(ていにぐう)&第三宮(ていさんぐう)があります。伊勢神宮の古い社殿を譲り受けたということで、第二宮(右)には田心姫神(たごりひめのかみ)、第三宮(左)には湍津姫神(たぎつひめのかみ)が祀られています。田心姫神、湍津姫神はそれぞれ、沖津宮、中津宮の御祭神ですので、本殿と合わせて、こちらをお参りすることで、宗像三女神の三柱にお参りできるという便利な仕組み?です。

足元が見えませんが確かに神明造っぽいですね。非常に綺麗な印象ですが、比較的新しいんでしょうか・・・

神宝館

そして、いよいよやってきました、神宝館。海の正倉院と呼ばれる沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などを収蔵する施設です。入場料は800円と比較的高めですが満足度は高いです、ペイペイも使えます!

館内展示スペース

展示スペースは広めにとられており余裕があります。高めな入場料のせいか全然人がいなかったのでゆっくり見学できました。

沖ノ島と古代祭祀

入島が制限されている「沖ノ島」の模型が展示されていました。なるほど分かりやすいですね。沖ノ島はまるっきり自然のままという訳ではなく、着岸に対しての桟橋、防波堤は整備されているんですね。10日おきに神官の交代が必要ですし、入島に際して海で禊を行う必要もあるので、天候不順の時でもある程度対応できるようこうした整備は必要なのかと思います。

そして、写真左から1/4位のところにある巨石が連なっている所(黒背景のピンが打たれている所)が、祭祀を行った遺跡が集中している場所のようです。

その部分の拡大がさらにありました。おーなるほど、岩場というのはこういう場所なんですね・・・厳島の弥山の山頂近くにもこれと同じような岩が連なっている場所がありそちらは厳島の御神体であり、空海の修行の場になっていました。

時代の流れにつれ、祭祀を行う場所が、岩上 → 岩陰 → 半岩陰・半露天 → 露天と変遷したということです。21号の岩の上には、なんらか人工的な祭祀の跡と思われる形跡が見えますね(模型ですが・・・)。

この周辺から8万点の埋納品が見つかり、その全てが国宝に指定されているということです。

岩上祭祀 (4世紀後半〜)

海の安全、大陸との交流の成就を祈願して沖ノ島での祭祀は4世紀後半から始まったとのことですが、当初は岩の上で行われていたということです。奉献品自体は、岩と岩の間に並べ置かれていたということです。奉献品は、鏡・剣・玉と、日本神話の「三種の神器」に通じます。

三角縁神獣鏡

そして、鏡の中でも有名なのは、確か小学校の教科書にも出てきた「三角縁神獣鏡」、古墳などの副葬品として他の遺跡からも見つかっていますが、この「三角縁四神文帯二神二獣鏡」はかなり良好な状態で残っている鏡の1つです。一番最初の写真で神湊港ターミナル外壁にもこの神獣鏡がデザインされています。

この鏡は中国魏代の舶載鏡と推定されているようですが、未だに日本列島以外で出土例がないということで、これらの鏡全て日本製なのではないか?という説もあるようです。なるほど・・・

勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)

左側が、それぞれ硬玉・水晶・瑪瑙(めのう)・碧玉(へきぎょく)製の勾玉、右側が、碧玉・滑石(かっせき)製の管玉ということです。今となってはもっと派手な石、加工技術も高度になっていること、他プラスチックなどの素材からのイミテーションも安価に作られますので素朴に感じますが、当時としては珍しかったんでしょうね。この「玉」の類も三種の神器の1つです。

岩陰祭祀 (5世紀〜)

5世紀になると祭祀の場所が岩の上から岩の影に移ったということです。

金製指輪

この時代の奉献品の中で一番有名なのがこの金製指輪になります。神宝館としてもこれが一番の目玉展示品になっています。

直径18mmということで、実際に身につけるにはだいぶ大きめということですが、正面中央を菱形状にした金板を曲げて、正面と反対側で接合し環状に仕上げているということです。正面には4枚の花弁を持つ花文、周辺には円環を配し、指輪の端は蛇腹状に刻む装飾がされています。これらの装飾は、細い金板をそれぞれの形に加工して蝋付けするというなかなか繊細な接合技術で作られているということです。確かに5世紀ですからね。

こうした金製指輪の類例は韓国慶州の古墳でも見つかっており、オリジナルがどこかは置いといて、韓国との交流をも示しているということです。

カットガラス椀(片)

こちらのカットガラス椀片は、イラン製でシルクロードを経てもたらされたと考えられているようです。そんな珍しい貴重な品をも奉納してお祈りしていたんですね・・・普通はこの破片を山で見つけてもあまり透明度の高くないガラスの破片ということで見向きもしないでしょうね・・・

半岩陰・半露天祭祀 (7世紀後半〜)

7世紀後半〜8世紀前半にかけては、巨岩の影から若干離れたところ(半岩陰・半露天というらしい)で祭祀が行われたようです。奉献品としては、それまでは古墳の副葬品と共通していたようですが、この時期以降は、金銅製の紡織具や人形、琴、祭祀用の土器など、祭祀のために作られた奉献品が目立つようになったということです。

金銅製龍頭

敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)の隋代、唐代の壁画に、竿先にこちらとほぼ同様の龍頭がつけられ、口元から幡や天蓋を吊り下げる様子が描かれているということです。用途がわかるとともに、これらが中国との交流を示しているということです。イランのカットガラス椀と同様シルクロードを経て到達しているということです。

ちなみに敦煌は、ここでも取り上げたいつかは行ってみたい中国東部のシルクロードの中継都市で、莫高窟は4世紀から1,000年かけて、大小492の石窟に彩色塑像と壁画が描かれたという遺跡になります。

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露天祭祀 (8世紀〜)

8世紀になると、巨岩群からやや離れた露天の平坦地に祭祀の場が移ったようです。大きな石を中心とする祭壇のような遺構の周辺には、大量の奉献品が残されていたということです。

奈良三彩小壺

奈良時代の複数色を用いた多彩釉陶器を奈良三彩といい、当時、朝鮮半島南部の影響の下に製作していた緑釉陶器の技術に、中国の唐三彩の技術が加わり誕生したということです。国家や貴族による祭祀や仏事の用具またはお骨入れとして用意された希少なもので、平城京やその周辺の官営工房で製作されたとみられるということです。

他の同時期の遺跡でも見られるようですが、沖ノ島の出土例は数が多く、大和朝廷の強い崇敬を表しており、航海の無事を祈る国家祭祀のために中央で焼かれて配布されたようです。

沖ノ島から発掘された宝物はこれ以外にもいろいろありますがキリがないのでこのへんで・・・

宗像大社奉納品

他にも、海にまつわる宗像には関連した奉納があります。

こちらの羅針儀は、日本海開戦に勝利した海軍長官である東郷平八郎が、軍艦三笠の羅針儀を奉納したということです。三笠自体は横須賀に停泊、記念館になっており一度訪れていますが、羅針儀はここにあったとは・・・ついてた気もしますがあちらは偽物か???

宗像刀というのも有名なようです。船の上で片手で振り回せるよう短めなのが特徴???いまいちよく分かりませんでした。

宗像・沖ノ島の世界遺産を満喫しました。

門司港へ

もう神宝館でも色々見られてだいぶんお腹いっぱいということで、このへんでおしまい、電車の時間に合わせてタクシーで向かってしまうことにしました。宗像大社の入り口にタクシーがいるのを予めチェックしていました。JR鹿児島本線も本数が限られており、さらに本数が少ないバスとの接続も効率が悪いのでタクシーの価値は高いです。

ちなみにこの鳥居が大鳥居になります。東郷駅まで1,600円でした。

東郷駅で、コインロッカーの荷物をピックアップして、鹿児島本線にスムーズに乗り込めました。最初はそれなりに人がいましたが、それでも普通に座れるレベルの混雑具合でした。小倉から混むかと思いきやさらにガラガラに・・・・

東郷駅から50分ほどで門司港駅に到着です。3度目ともなると懐かしさを感じます。

まとめ

大島を観光した後は、辺津宮と神宝館を訪れました。辺津宮は、さすがに大社としてのスケールでなかなかの規模で、荘厳な感じでした。第二宮、第三宮には、それぞれ田心姫神、湍津姫神が祀られており、宗像三女神を1箇所でお参りできるという合理的の部分は、それでいいのかとも・・・

そして神宝館は、何も勉強せずに行くとあまり見所が分からないかもしれませんが、4世紀〜8世紀という日本の建国初期においてこれだけの文化交流が行われており、そしてその時代にこれだけ高品質な物品が奉献され、それが荒らされずに残っていたというのは驚きです。海の正倉院と呼ばれ、8万点全てが国宝に指定されたという背景がよく分かります。

1日で、大島、本土の世界遺産を巡ると、このくらいで大体お腹いっぱいになるかと思います。道の駅での展示や古墳まで足を伸ばすのはパスしましたが、それでも大変見どころの多い観光となりました。

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