赤間神宮は2年半前に対岸の門司港からも見えていて「対岸に竜宮城がある」と気になっていた神社です。実際に多くの人がそう見ているようで、この建物群の中に「龍宮殿」という名前の建物もあります。

この赤間神宮の前身は阿弥陀寺という仏式の寺院で、壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀るお寺ということです。合わせて壇ノ浦で滅んだ平家一門を祀る塚もあり、その背景を題材にして作られた物語・怪談である「耳なし芳一」の舞台としても有名です。当時はお寺でしたが、1800年台後半の廃仏毀釈により今現在は神社になっています。

また、第二次世界大戦で消失してしまったため、今の社殿は1965年(昭和40年)に再建されたとのことで、いろいろと乗り越えて今の姿になっているということですね。

立地

 

カモンワーフ、唐津市場と壇ノ浦古戦場跡の間くらいにあり、それぞれから若干距離があるとも言え、アクセスは便利というべきか不便というべきか解釈による感じです。9号線沿いのバスでのアクセスは、同名のバス停がありますので容易です。

春帆楼に宿泊される方は隣ですのでぜひ。しかも日清講和記念館横の脇道から水天門前にダイレクトアクセスです。また、その通り沿いに扉が一つありますが、そこが安徳天皇の御陵(非公開)です。

水天門

この特徴的な門が水天門です。この1階の部分の作りが竜宮城っぽいです。

水天門をくぐると、さらに階段がありその上に大安殿(拝殿)が配置されています。

階段手間には狛犬(獅子)が。

この子たちは、固定されていないけど取り出せない玉をそれぞれ咥えています。加工(削り出し)の段階であえてそのように作ったということで技術の高さを象徴しているとのことです。意外と新しく、平成になってからの奉納ですので歴史はそれほどありません。

ほんとに取り出せないか検証の図・・・確かに取り出せなかった・・・

大安殿(拝殿)

水天門と合わせてこちらもちょうど修復工事が完了した状態ということできれいでした。この旅前半は工事中が続きましたが、後半は工事が完了したきれいな状態を見れています、よしっ。

平家塚(平家一門の墓)

そして、大安殿手前を左手に奥に入っていったところには平家塚があります。

壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、散った平家14名の供養塔が並び、名前に「盛」字の付く者が多いことから「七盛塚」と言われているとのことです。ただ、盛がつくのは6人のようですが、なぜ七盛なのかは不明です。

1185年、ここ壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し、政治の実権が貴族から武士に移った一大政変が起こったんですね、そして盛者必衰です。

芳一堂

「耳なし芳一」は、その平家滅亡を題材に、赤間神宮の前身阿弥陀寺を舞台とした物語、怪談ということで、小泉八雲の「怪談」に取り上げられたことがきっかけで広く知られるようになったということです。

ただ、耳なし芳一というタイトルは覚えていますが、内容は朧げ、、、ということでこれを機会にいくつか見返してみました。(いくつか若干内容の異なる話があるので著者抜粋、組み立て)

芳一という名前の盲人の琵琶法師が阿弥陀寺に住んでいた。平家物語の弾き語り、特に壇ノ浦の段を得意としていた。その噂を聞きつけたその阿弥陀寺に祀られていた平家の亡霊も是非これを聞きたいと武士の姿で芳一を誘い、手を引き、七まがり八まがりの廊下を進み辿りついた広間で演奏させた。そして、芳一が壇ノ浦の段を弾奏すると、厳然としていた武士たちは涙を流し婦人等は嗚咽の声を出して泣いた。芳一はびっくりしたが、自分の琵琶に半ば陶酔しつつその曲を終えた。

武士からは「実に今日は満足した、又明日も明後日も、七日七夜は必ず頼むぞ。」と頼まれ、毎夜外出することが続くと寺の僧侶は「これは不思議だ、盲目の芳一が毎夜琵琶を抱えては外出している・・・」と、後をつけると、芳一は誰もいない平家一門の墓地の前で琵琶を弾き始め、その周りには鬼火が囲んでいた。

慌てた僧侶は、芳一を連れて帰り、和尚に話すと「平家の亡霊が恨みをもって彼の世につれ去ろうとしている」ということで、「今宵は声を出すな、動くな、返事をするな」と芳一に伝え、芳一の身体中に般若心経を書きつづった。その夜いつものように平家の亡霊が芳一を迎えにくると姿は見えず、返事もない、ただそこには耳だけが見えるということで、であれば耳だけでも連れて行こうともぎ取って立ち去った。

法事から戻った和尚は、耳がなく血だらけの芳一を見て、経文を耳にだけ書き漏らしてしまったことに気付き、芳一に非を詫びた。その後、平家の亡霊は二度と現れず、芳一の耳の傷も無事に癒え、この不思議な出来事が世間に広まり、彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。やがて琵琶の腕前も評判になり、その後は何不自由なく暮らした。結果的に芳一に降りかかった禍は、反対に彼の名声を高めることになった。

なるほど、思い出しました。その芳一を祀った耳なし芳一堂が平家の墓の隣にあります。

中の像をよく見ると耳がなくなった後の芳一のようです。ハンディキャプがある中で、この禍をもとに名声があがり不自由なく暮らせたのであれば良かったですね。

まとめ

竜宮城に見えた赤間神宮は、今ある建物群は昭和40年に再建されたもので文化的な価値はあまりありませんが、その分ポップで派手な見た目が目を引きます。

ただ、バックグラウンドとしては仏式の阿弥陀寺で、阿弥陀寺は壇ノ浦の戦いにおいて平氏とともに行動し、8歳という年齢で海に身を投げることになった安徳天皇を祀り、合わせて滅亡した平氏の墓もあるという日本の歴史の一大イベントを背景にもつ寺社ということでした。日本の政権が、貴族から武士に代わるきっかけとなった出来事の関連し、また、そこから派生した平氏の無念さを題材にした物語「耳なし芳一」の舞台にもなるなど、個性的な背景を持つということで、なかなか楽しめました。

 

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