サンクトペテルブルク観光 〜ペトロパヴロフスク要塞〜

1700年に始まった大北方戦争の過程でスウェーデンから土地を防衛するためにピョートル1世の命令で建設された要塞です。函館の五稜郭と同様、死角がないよう星型要塞の理論に基づいて設計されています。ネヴァ川河口付近のザーヤチ島の形状を生かして構築され、サンクトペテルブルクの発祥の地とも言われています。

ホテルからはトロリーバスで一本、前日に買ったバス路線図が役に立ちました。地下鉄に比べて上下の移動がない分バスの方が断然楽ですね。

ペトロパヴロフスク要塞

入り口までやってきました。それにしてもこの日も天気が良すぎで暑いです。

要塞の中は、当然ながら塀に囲まれており、砲台なども展示されています。

ペトロパヴロフスキー大聖堂

その中で1番の目玉がこのペトロパブロフスキー大聖堂です。ピョートル1世ほか、ロシアの歴代皇帝の埋葬地となり、帝政ロシア時代は最も神聖な場所とされています。ここは要塞の中で1番の人気スポットで、入るまでに長い行列が作られています。行列はこの塔の影のに沿って出来ているので行列から撮ると太陽は隠れ、なんか神聖な感じです。

20分ほど並んでようやく入場できました。さすが歴代皇帝が埋葬されている大聖堂、ゴージャス、そして他の聖堂に比べて窓が大きく明るいです。

祭壇はキンキラキンでSPの他の聖堂に比べて歴史がありつつも、古臭さは感じられずかなり気合が入っているのが分かります。

主祭壇以外も、キンキラキンです。

そしてその前には棺桶が並べられています。手前はエリザベート1世かな・・・

誰が誰やら・・・

ただ、並んで入っただけの価値は十分にありました。他の聖堂のお祈りの場というよりは、皇族の埋葬地としての役割が大きい特殊な位置付けでした。

監獄

1872年に南西の城壁の突出し部に監獄が建設され1917年まで政治犯収容所として利用されたということです。一時はドストエフスキー、レーニンらも収容されたということで同じ環境に浸ってみます。何気に壁紙も暖色系ストライプのデサインで、それほど殺伐とした雰囲気は感じず監獄感はありませんが冬は厳しいでしょうかね。ただ日本の網走刑務所も暖房はちゃんとしていて他の快適だったという話もありますので時代によるのかもしれません。

外にはギロチンがありました。首を突っ込んでいる子供がいますが、ただの観光用のオブジェなのか、当時の処刑はそうした形で行われていたのかは不明です。

他にも複数の博物施設がありますが、この辺で撤収します。

別の要塞出入り口

要塞は複数に出入り口があり、ネフスキー通りへの移動に便利な地下鉄アクセスに便利な別の出入り口から出ました。ペトロパブロフスキー大聖堂の尖塔がここからも見えます。

そしてその出入り口にはアイスクリームの屋台がありアイスクリームをゲットです(価格不明)。

ロシアのアイスクリームは、社会主義当時のレシピを使っているところが多く、それがミルクが濃厚で非常に美味しいんです。その分柔らかく溶けるのもちょっと早いのでご注意ください。

対岸の眺め

対岸中央の建物が前日訪れた「エルミタージュ美術館(冬の宮殿)」です。その後ろに被っているドームが翌日訪れる「イサーク大聖堂」ということで、結構観光スポットは狭い範囲に密集しており頑張れば1日で回れそうです。今回私たちは3日あるので余裕を持ちつつ回っています。

夏のSPということで、この沿岸では、水着で泳いでいる人もいました。

まとめ

SP開基のきっかけとなったペトロパヴロフスク要塞を訪れました。

ホテルからは地下鉄だと乗り換えが必要、距離としては2km位で歩いて行けないこともないという中途半端な場所にありますがそうした時にバスは便利です。ほぼドアtoドアでアクセスでき、初日にドムクニーギで調達したバス路線図が早速役に立ちました。

要塞の中には複数の博物館的な施設、大聖堂がありますが、やはり目玉は歴代皇帝の埋葬地になっているという由緒あるペトロパブロフスキー大聖堂です。さすがに人気で入場には行列待ちになっていますが、これは並んでも入場する価値があります。中はゴージャスで明るく、棺桶が並んでいるところが他の聖堂とは異なります。一見の価値ありです。

ほかはお好みで、お金の博物館、拷問具博物館、宇宙史博物館、監獄跡など、いずれも若干個性的かつあまりSPと関係ないということで、全てスルーしてネヴァ川対岸の眺めを楽しむというのもありです。ここがSP発展の土台となった場所という点で価値ありです。

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